hiroinnのブログ

あの世とこの世の結魂生活。一緒に暮らすまでの道のり

全てがうまくいっている、という考え方

最愛の夫が

わずか35歳で他界した。

私は、苦しむ姿を全て見てきた。

助けられなかった悔しさ

一人でいかせてしまったあの世。

私はこの世にいて、

夫の側にいられない罪悪感。

 

私は何もかも失った、

自分も無くなった。

絶望感。

 

毎日の苦しみとの戦い。

 

 

それでも、

「うまくいっている」

という事なのか。

 

夫の人生を「辛く悲しく、かわいそうなもの」にしたくない。

私の人生も「辛く悲しく、かわいそうなもの」にしたくない。

 

夫も同じ気持ちだろう。

 私の人生を「辛く悲しく、かわいそうなもの」にしたくないだろう。

 

http://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12103731349.html

 

 

麻央さんの記事にもありましたが

 

人の死は、病気であるかにかかわらず、

いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、

人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが

私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、

愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、

愛した、色どり豊かな人生だからです。

だから、

与えられた時間を、病気の色だけに

支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。

だって、人生は一度きりだから。

(麻央さんのブログより)

 

うん。

そう思うよね。

 

そうだよね。

 

 

夫の人生を、生きざまを

私が否定したくない。

 

そうだ。

そうだ!

 

心に誓おう。

 

私がこのまま

引きこもり、自分を生きることを否定し続けることで、

夫の人生が悲しいものになっていまうかもしれない、

と、

今書きながら気がつきた。

 

夫からのメッセージだね。

 

「そうやで。いつも言ってるやん。」

と、いつもの調子で聞こえてきた。

 

ありがとう。

ありがとう。

いつもいつもありがとう。