hiroinnのブログ

あの世とこの世の結魂生活。一緒に暮らすまでの道のり

傲慢な自分 年末の天界の振り返り

この記事にも書いたけど

http://hiroinn.hatenablog.com/entry/2016/12/29/020048

 

12/27

天界の住人に

二回目会いに行った。

 

一人ではいけないような、山の上で

今回も師匠と一緒に

連れていってもらった。

 

とってもとっても美味しい食事を頂き


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最高に美味しい…

悶絶…

 

やっぱり

夫に食べさせてあげたい。

 

いつものように

一緒に

「おいしぃ〰‼」

って、大騒ぎしたい…

 

 

天も、師匠も

この美味し食事は

「旦那さんからのプレゼントやね」

と、言ってくれた。

 

自分達のお陰、というような事は言わずに

(そうなのに)

旦那さんからの…

と、いう事を言ってくれる人達に

私は出逢い、応援して貰えている。

 

なんて幸せものなんだろうか。

あなたの導きのお陰だね。 

 

私は本当に守られているね。

 

 

 

おしゃべりの中の気づきについて

書き残しておこう、と思う。

 

心を整えるために、

美味しいものを食べる

 

天界の人は、

独り暮らし

80歳。

結婚はせずに

子供もいない。

山のなかで一人暮らし。

 

何を生きがいに

暮らしているんだろうか、と

初めて会ったとにに思った。

 

 

1日3食、食べるという。

「毎日、何食べよう?♪って思うよ~」

って言っていた。

 

私は、やっとご飯が食べられるようになったが、(前までは、罪悪感で喉が通らなかった)

料理はする気がしないし、

お菓子とか、カップ麺とかで

すませてしまう。

 

心や身体が、整ってくるまでは

料理なんて無理!

夫がいないのに、美味しいものを自分のために作るなんて無理!

って思ってたけど、

逆やわ、って思った。

 

心も身体も整えるためには

自分を大切に(←これが難しい)

美味しい食事をしなくちゃ。

 

そう気づいた、と私がいったら

天界の人

「それ(食事)が全てちがう~?」

と、言った。

 

今までも夫の事で

食事について沢山勉強してきたけど、

自分の事となると、駄目やなぁ。

 

 

②天界の人(以下:天)が、

「私は傲慢なの。」

と話はじめた。

 

それを聞いて、

私は

そんな風にはみえんけどなぁ~

って思ったけど、

このときの私は「傲慢」の意味を分かっていなかった。

 

天は、クリスチャン。

マリア様の話になった。

 

マリア様の言葉

 「わたし(マリア)は主のはしためです。お言葉のとおり、この身になりますように。」

 

の意味、天の解釈を聞いた。

 

マリア様の話はこちらをどうぞ。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/JESUS/kate/ruka1.26-38.htm

 

マリアさまは、婚約者がいたけれど、

イエスさまを身ごもるときに、

神のはしためです。

と言ったんだ。

と、天は言う。

 

 

「謙虚に、謙虚に、と思うけれど、

この歳になっても、毎晩の御祈りの時には、あ~今日も○○がちょっとダメでした。と思う。」

 

と。

 

そこで、私は、気がついた。

自分が傲慢な事に。

 

って、言ったら

師匠が

「そうやで~!!」って。

 

そう言われて、

自分にショック&ガックリ…

 

私は、これがダメだ。

私は、こう出来なかった。

もっとこうしたら良かった。

夫を助けられなかった。

 

など、自分を責めまくっている。

それ自体が傲慢なんだ。

 

私は出来る、人に迷惑かけずにやれる、

と、どこかで思っていたのか。

私は、夫を助けられる、と思っていたのか。

だから、

こんなにも自分を責めまくっているのか。

 

自分の力を過信して、

人に頼ることをしてこなかった傲慢さに、
気がついた。

 

人は皆、一人では生きていけない。

 

今、夫がいなくなり、

私はひとりだ、と呆然と立ち尽くす日々だが、

今生かされている

この今でさえ、

一人で、自分だけで

生きているわけではないんだ。

 

と、いうこと。

それに気づいた。

 

この日から、

私の傲慢さが、

どんどん浮き彫りになってきて、

それと向き合ったことで、

それまでの自分では

想像できない正月を迎えた。

 

 

それについては、

次へ。