hiroinnのブログ

あの世とこの世の結魂生活。一緒に暮らすまでの道のり

中学生の私たち

TVで

TRF が  サバイバルダンス  を

歌っていた。

 

すごくすごく 切ない気持ち を

思い出した。

 

中学生の頃に

同級生の 夫に

恋をしていた時の気持ち。

 

中学1年で、

遠くから眺めながら、恋をして

2年生で、一度も喋ったことも無いのに告白して、 フラレて

3年で、諦めきれず また告白して

付き合って貰えて、

3か月後にフラれた。

 

 

サバイバルダンスを聞いていた

その当時の気持ちを

思い出した。

 

大切な 大切な  気持ち。

 

歌って、すごいな。

 

 

中学生の、出逢った頃に戻れたら

どうするかな。

 

夫から離れず

ガン予防

 

ガン治療 も

もっと勉強して

 

絶対に絶対に 守りたい。

 

 

でも、

これは変えられない運命だとしたら

 

先に知っていたら

 

夫が旅立つまでの

こんなにも幸せな時間を

過ごせたのか、

どうか。

 

 

それでも、

過去に戻って

守れる方法を模索したい。

 

私達が出逢った理由

愛を分かち合うために

 

私達は出逢ったんだ。

 

 

そっかぁ~

 

 

 

理由なんて考えることも無いくらいに

 

私達はソウルメイトであり

 

出逢うことは決まっていた、と

 

当たり前に思っていたけど、

 

(夫も当たり前に思っていたとおもう)

 

そういうことか、

 

と、ある人の言葉を読みながら

 

気がついた。

 

 

私は、もともと結婚願望ゼロだった。

 

こんな私を受け入れてくれる人なんて

この世にいるはずがない。

 

ややこしい私をさらけ出せるくらい

信頼できる人になんて出逢わない。

 

家では、人に気を使わずに

自由に居たい。

 

 

夫と出逢うまでは、

そんな風に思っていた。

 

 

 

夫とお付き合いする前に

 

好きかどうかも、まだ分からない時に

 

「この人と結婚するな~」

 

って、

何故か思っていたから、不思議。

 

 

結婚してからは

 

私は一人の時には無かった

 

【自由】を感じた。

 

 

愛を知ったから。

 

 

私を

心から受け入れて貰えて

信頼しあえて

愛されて。

心から愛して。

 

私は、心も、行動も

【自由】

になった。

 

 

自由、という感覚。

夫はどうだろうか。

 

 

でも、これだけは言える。

 

 

私達は、深くお互いを愛し

そして愛され、

 

それまでの人生では知らなかった

愛というものを分かち合ったね。

 

それは、

今もこれからも終わることなく

続くのだと、確信がある。

 

 

それが、あるから

私は生きるのだと思う。

 

また会うときまで

絶対に生きるのだと思う。

「癌にならない体作り」って…

「癌にならない体作り」

っていうセミナー告知を見た。

 

腹立った。

 

とても軽くて

無責任に思った。

 

これまでに私だって必死に色んな角度から勉強会して、実践して、やってきたから、

 

それを  

「知りたい!  勉強したい!」

という人もいる事は、分かるし、

 

経験者が  発信したり

専門家が 考えを 発信することは良いと思うけど

 

癌にならない体作り?!

 

絶対?!

 

絶対なんてなくて

答えなんてまだ出てない  

 

だから、みんな

【自分の考え】に過ぎないから、

 

例えその道の専門家でも。

 

って思う。

 

 

 

 

タイトル変えてほしい。

 

無責任に、言い切らないで欲しい。

 

例え、自分が

余命宣告から生き返った!

と、いう結果を出したからといって。

 

 

 

 

そして、

 

癌にならない  ことが、人生の目的ではなくて、

自分らしく、しあわせに生きること

だったりが、

みんなの本当の目的でしょ?

 

このセミナータイトルは

健康なときから

癌にならない  ことに フォーカスしすぎ。

 

(フォーカスするから ならない訳でもないし。

でも、生きる上での選択肢として、

健康知識は知っておく方が良いと思う。)

 

私が腹立つのは、セミナーの内容じゃなくて

タイトル。

 

 

 

 

やっぱり

私のこれからの命の使い方は、

 

理論系の健康講座とか、

癌予防の為の講座とか、

そっちの道じゃないなぁ、

と思う。

 

何だろう… 

 

分かっているようで、

わからない。 

最高の夢

祥月命日の三日前に、

私は倒れ、

地獄のような目眩と嘔吐に

苦しんでいるなかで 

見た夢。

 

......

 

夫が生き返って、帰って来た!

 

「(生き返るのには)

このくらいの時間(1年)は  かかったわぁ~」

 

と、言いながら

私を笑わそうとする

ちょっと とぼけた

いつもの感じで現れた。

 

もう、めちゃめちゃ嬉しくて嬉しくて!!

 

 

みんなのところへ知らせに行こう!

 

と、義理実家や友達など

みんなにところへ、一緒にまわった。

 

みんな、驚ろいていて

信じられない、といった感じ。

 

喜ぶ、っていうよりも

言葉もでないで、

え?! って、固まってる。

 

私は  にっこにこ 

 

ほら!

やっぱり私達が離れるなんて、

ないんやから!

 

私達の絆は特別。

 

と 、私は どや顔

 

......

 

 

そんな夢。

 

 

地獄のなかで、

最高に幸せな夢を見た。

 

 

でも、

現実は

まだ帰ってきていない。

 

 

仏壇のパイナップル

昼過ぎに起きて、

仏さまの水と、花に水を変えた。

 

何をしよう…

 

何もする事がない。

 

いや、やらないといけない事はあるけれど

 

何もやる気にならない、

やる必要もない。

 

お腹も空いてない…

 

でも、食べてみようか、

やることないし。

 

母が切って、冷蔵庫にいれてくれていた

パイナップル。

 

 

お供えして

般若心経を読む。

 

f:id:hiroinn:20170611135452j:image

 

線香の香りよりも、

強く華やかに

パイナップルの甘い香りがしてきた。

 

般若心経を一回で終わり

最後の音叉を鳴らすとき

 

虚しくなった。

 

 

 私は

パイナップルを

早く食べたくて

般若心経を一回で終わり

 

音叉を鳴らす時も、

もうパイナップルの事を考えていることに

気がつく。

 

 

 

なんて、欲まみれなんだろう。

 

食べたい

 

自分が生きること、を

無意識の自分が選択している、ことに

涙が出る。

 

 

そしてまたこんな事を考える自分は、

心底「夫のため」を考えられていない

事に気がつく。

 

自分ばっかりなんだ、結局。

 

 

私が許せない、あの人と

たいして変わらないのかもしれない。

病人のたたかい

激しく体調をくずして、

何日も口から飲み物食べ物を

入れられなかった。

 

動くことも出来なかった。

 

地獄のなか、

祥月命日を向かえて

あなたの為に、私は何も出来ず

布団の中で

苦しみと悔しさと

たたかった。

 

今も

まだ調子が悪いが、

食べられることへの感謝を深く感じている。

 

丸三日間、水すら口から入れられなかった時

さすがに、ヤバい、と思った…

 

 

私は

夫と同じ病気になって

同じように経過をたどり

同じ苦しみを経験して

気持ちを少しでも理解してあげて

あの世で会いたい

 

と、思っていた。

(でもそれじゃいけない事、今回思い知らされたよ。あなたのメッセージだね)

 

今回、少しだけだけれど

同じような症状になった。

 

もちろん同じ病気でもないし、

命の危険がない病気だったのだけど、

 

それでも、今まで気づかなかった事や

あのとき、夫はこんな気持ちだったのかも、

とか、

沢山思うことが、あった。 

 

たとえば、

自分が倒れて身の回りのお世話を全部人にやってもらう事が、こんなにもストレスがかかるのか、(自分が思うようにはして貰えない。大切な人に迷惑かけるし)

 

とか、

 

お世話してくれる人

(夫の場合は私。今回私の場合は母)

が、

私の事をめんどくさくなってきていないか、

こんなになってしまった私の事を邪険に思っているんじゃないか、

 

とか、

 

私の治療を勝手に決めるな、自分で決めたい、と思うけど、

母がやりたいようにすることで、

あわてふためく母が安心するなら、

私はその治療が嫌だけど、我慢してやろうか、

とか。

 

夫は、最後まで

看護師さんに色んなお世話をしてもらう事

を嫌がって、「○○(私)じゃないと」と言ったが、

(他の家族にされるのも嫌がった。「○○(私)しか無理や…」と夫は言っていた)

 

それは、看護師さんに

オシモの事などされるのは、

もちろん嫌だからだと思っていたし、

それは当たり前だと思っていたから、

私は出来る限りの最後の最後まで、

私だけで色んな介助をした。

 

私の全身はぼろぼろ、

大きな夫を支えきれずに自分の体で守るから、腕や足はぶつけまくりで、

腫れ上がったり、傷だらけ。

それはもう本当に必死だった。

 

 

それも、今回分かったことは、

側で見てても看護師さんの患者への触れかたや介助は荒くて、

当時、私は何度も涙流した。看護師さんにも言ったけれど…

 

見ている以上に、

医療従事者は、ガツガツ荒く触り、

体調悪いのが、余計に悪くなる。

本当にストレス。

 

配慮なんてあったもんじゃない。

仕事をこなすのに必死で

その必死感が、調子が悪い患者からすると

恐怖でたまらない。

 

人間として扱われていない

心も体も痛い。

 

救急車で運ばるときも

病院へついてからも

診察の時も

検査の時も。

終わって車椅子に無理矢理のせられ

孟スピードで運ばれ

振り落とされるんちゃうか、と恐怖だったり。

 

あなたはこういう事も、耐えて耐えて

本当にがんばったね。

 

病院は嫌だね。

人間として、大切な一人の人としての感覚をぶち壊されるね。

 

 

これ以上にも

沢山の事を感じた。

 

今回私も目も開けられない約3日間があった。

でも開けられるようになると、

健康な人が、物珍しそうに見てくる視線が

とても気分が悪い。

 

そして、「健康な人」を見たくない。

苛立ちと、疎外感。恐怖。

 

 

あなたは、本当に沢山の事と

向き合い、戦ったんだね。

 

戦ったけど

負けたとかは

全く思わない。

 

 

あなたは

本当にスゴい人だ。

 

最高に素晴らしい人だ。

 

 

 

早く抱き締めてあげたい。

 

早く会いたい。