hiroinnのブログ

あの世とこの世の結魂生活。一緒に暮らすまでの道のり

いつ死ぬか分からないから

命の危機に脅かされていない時は

 

今が永遠に続くものだと

 

何となく思っているもんだ。

 

夫の病気が分かり

 

命が危機を感じてからは

 

治すこと

 

夫と今を楽しく暮らすこと

 

に集中した3年間だった。

 

 

でも、最後の1ヶ月

 

夫がどんどん変わり果てていき

 

私はあわてふためき、

その時に出来ることは

200%やったけれど

 

私の心と身体は、

限界なんてとっくに振りきるくらい

やりきったけれど、

 

今現実、

夫がいなくなってから

思うことは、

 

本当にいなくなるなんて思っていなかった

こんな事が起こるなんて、思っていなかったのかもしれない。

 

 

頭では病気の深刻さを分かっていたけれど

大切な夫が「死ぬ」ということは

想像してしまい不安と恐怖に襲われながらも、

「思考は現実化するかから、良い未来だけを想像しよう」と、

自分を奮い立たせていた。

 

実際3年間抗がん剤を飲みながらも、

毎月一緒に病院へ行きながらも、

普通に毎日を送れていたから。

 

こんな日々が、ずーっと続くものだと

どこかであぐらをかいていた自分が

いたんじゃないか、

 

そんな私だから守れなかったんじゃないか。

 

もっともっと治療も探せば出来ること

家の生活でもやってあげれること

 

夫を楽しませる事

笑わせること

 

もっとあせる必要があったんじゃないか。

 

もちろん

病院で出来る治療

抗がん剤

放射線

陽子線

ホウ素中性子捕捉療法

ワクチン

治験

アバスチン

インターフェロン

ビタミンc

免疫療法など

調べに調べた。

 

自然療法では

お灸

岩盤浴

磁気治療機

放射線シーツ(ホルミシス)

アロマ

リフレクソロジー

オステオパシー

カッピング(吸い玉)

音叉

レイキ

音楽療法(ゆらぎ)

呼吸法(主に寝る前の)

爪もみ

カッサ

ガンに効くという温泉

そこのお水(月のしずく)

唾液を出すツボおし

絶食(一回だけ)

家の食事は自然農法の野菜果物を宅配注文

油はココナッツオイル

調味料は本物を

オーガニックハーブティを体調に合わせて

ニンジンジュースをやっていた時もあったが、胃に合わなくてやめたり、玄米はストレスになるようで、七部つきと少しのげんまいを混ぜたり、黒米や穀物を混ぜるのは好きだったり、色々試して、ストレスにならないやうにした。

外食は夫婦の趣味なので、楽しんだし、

夫はビールも好きなので、晩酌はするが量はほどほどにしていた。

 

夫は子供の頃から昔から朝はパンだったから、ご飯に変えるのが嫌だったようだから、少しずつ少しずつやってきて、

ある日味噌汁を飲んで

「あぁ~~、うまい!!」

っと、言ったとき、

涙が出るくらい嬉しかった。

ガン抑制に、味噌汁も大事に思っていたから、朝と、昼のお弁当にはほとんど味噌汁も持っていってもらった。

水素茶も水筒にいれて。

 

お風呂は、塩素除去にビタミンcをいれて

体調や季節に合わせて、入浴剤を変えたりした。

クエン酸重曹

自然塩&精油

クレイ

水素入浴剤

実家の庭からとってきた無農薬のよもぎ

自然栽培のミカンの皮を干していれたり

など、

 

ここに書いた以外にも、

当たり前になっている事で色々あると思うけど、それなりに必死に勉強して、選択して、行動してきた。

 

神頼み

墓、仏壇への先祖頼み

言霊

呪文

霊芝やオメガ3についてなども

何でも勉強した。

 

 

でも、もっと危機感が必要だった。

 もっとやれる事があった。

環境をガラリを変える

思い切った提案もしたら良かった

 

 

いや、分からない。

 

毎日を私があれ以上に、必死になっても

生きている「今」を

楽しむことを忘れてしまうのかもしれない。

 

病気が分かって、一年くらいは

夫を一人にさせないように、

していた。

 

脳の手術をしたから、いつ痙攣発作が起こってもおかしくない、と言われていたから。

 

結局一度もなかったが、

 

もしも夫が家で一人だったら、

電話をかけることさえ出来ないくらいに強い発作だったら、

と考えると、

一人にさせたくなかった。

 

そう私が思っている事は話したことがないが(痙攣発作の不安を大きくさせたくないから)

ある時、いろんな予定の変更があって

夫が家で一人で、私が外へ行かないといけない、という場面なり、

私は困って、

誰か友達呼んだら?とか、

○○君と遊びにいったら?

とか、持ちかけたら

「死ぬと思ってんの?!」

と、強い口調で言われた。

 

 

 

あ~、そうか~

 

私が不安なだけ、

そんな不安を夫に感じさせたらあかんし、

夫を病人として生きさせたらあかんなぁ、、

 

と、猛烈に反省した。

 

それから、車の運転も夫がすると言ったら

とめないようにして、

(ずっと私が運転していたが)

それで何があっても

夫と一緒に受け入れよう、と覚悟した。

 

夫は車の運転好きだし。

バイクだって運転したいし。

 

一人でバイクで実家へ帰る、とか言い出して、(私が一緒に帰れないとき)

何度土下座して頼み込んで、

電車にして貰ったことか。

 

でも、ある時からそれもやめた。

私が一緒に帰れるときは絶対に一緒に帰ったが(何としてでも都合つけて)

でも私がどうしても仕事で、

夫が一人で帰る、と言うとき何回かあって、分かった、と言っても、

もう心のなかは不安で不安で、

無事ついたの連絡で安堵して。

 

やっぱり

夫の人生を夫が選択して生きる

と、いうことを

私は全力で応援しようと、

決めてから、

あれあかん、

コレはやめて、

とか、あんまり言わないようになった。

 

でも、結局は

夫は旅立ってしまった。

こうなった以上

何も良かったと思えることがない。

 

それは自分に対して。

 

 

夫の生きざまは、本当に尊敬する。

素晴らしい人だ。

こんなにも大勢から愛されている。

通夜、告別式に約800人来てくれたし

これなかった人たちも、遠くから家に来てくれり。

 

人が、人数が、どうこうじゃないけれど、

夫に救われたのは、私だけじゃない。

本当に素晴らしく、すごい人。なんでこんな素晴らしい人が。

 

夫の人生に私を選択してくれたことに、心から感謝している。

 

それが唯一の私の誇りだ。

 

 

人はいつ死ぬか分からない。

 

私はいつまで生きるのだろうか。

 

早く会いたい。

 

けれど、生きないと会えないと思う。

 

どうせいつか人は死ぬ。

 

そう思って、1日1日を

夫が生きたかったこの世界を

私が命を生ききらないと。

 

あなたと一緒に。